自然、蜂蜜、氣幸、三つの力で取り戻す「本来のわたし」
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自己紹介 その1

2025/07/08
自己紹介 その1

はじめまして!氣幸養蜂師のひろしです。

今日は私のことについてお話しさせて下さい。

私は1982年7月20日生まれ
血液型はAB
大阪府三島郡島本町で生まれて、2歳までそこで暮らしていたそうです。その頃の記憶は全くありません(^ ^)
その後父方の実家である福岡県久留米市長門石町で育ちました。
「俺は大阪うまれ久留米市育ち〜♪」なのです。笑

市内の小中学校を卒業後は久留米高専に入学し、無事に卒業しました。
その後は福岡市内の製糖会社に就職しました。
スプーン印のお砂糖です。知ってるかな?

仕事はお砂糖の品質管理で、ぶっちゃけ退屈でした。しかし大手企業でありお給料もそこそこ良くて、定年まで働ける「良い会社」でした。

このまま何の問題も無く、安定した生活をして、定年まで働いて、幸せに暮らしましたとさ。ちゃんちゃんお終い。
何かに全力で情熱を傾けることも無く、100%の力を出し切ることも無く、誰にでもできる仕事をして、人生を終える、、、。
本当にそれでいいのかい?
そんな葛藤を胸に秘めていた時期でした。

訪れた人生の転機

そんなときに出会ったのが、ネットワークビジネスと呼ばれるものでした。
世間では「ネズミ構」と呼ばれているなんてことは全く知らず、「こんなにも熱い想いで生きている人たちがいるんだ!」
と感動し、「つまらない社会構造から抜け出せるチャンス」だと捉え、全力でのめり込んで行ったのでした。
今でもそうですが、元々口数が多い方ではありません。また人と積極的に関わるタイプでもない。
それでもなんとか人生変えたい!という想いだけで活動していました。

しかし結果はみなさんの予想どおりでした。
会社では噂になり、親しかった友達との関係にも溝が入り、心に傷を負いました。
どこかで区切りをつけようと思い、会社に辞表を出し、「ビジネスに全集中して結果を出すぞ!」
と結果を出してる人たちの真似をしてみましたが、結果は恐怖で一歩も動けず、、、諦めました。

とにかく体を動かしたかった

若干心を病んでいた私は実家に帰り、叔父の会社で大工として弟子入りしました。
とにかく体を動かしたかった。
朝早くから現場に行き、毎日肉体労働で汗まみれ。でも、仕事が終わってからのビールは最高でした。
そうして充実した日々を送り、気が付けば8年の月日が流れました。
その間に結婚し、子供も二人(長女と次女)授かり二級建築士も取得させて頂きました。

二度目の転機

大工になりたての頃は自分で独立して稼ぎたいと思っていましたが、大手ハウスメーカーが人気の時代であり、
個人の大工が注文を受けるのは難しいと思い諦めていました。また周囲の友達が大手サラリーマンとして働く姿が羨ましく思え、
月に4日程度しか休めない自分の状況と比較して転職を決意したのでした。
週休二日制のサラリーマンに戻り、「安定した収入と子供との時間を大切にしたかった」と言えば聞こえは良いですが、ただ楽な道に逃げたくなっただけなのかもしれません。
病んだ心もすっかり元気になり、自信を取り戻した頃でもありました。
そうしてアパート会社に再就職し、現場監督としての生活が始まったのでした。

長くなったので続きは次回書きますね。